患者さんから優しい言葉が

「東京・明鏡塾」6期の柔道整復師の方からの報告です。 ::::::::::: 講座が終わったその日から妻、我が子、親、職場スタッフ、患者様等々、対面する人々に対してはもちろんですが、日常の中で目にする物に対しても正面から向かい合い眼を見てしっかり意思を伝える日々を実践してます。 その甲斐あってか早速、患者様から「貴方のお名前は?」と聞かれ「また、リハビリに来るね。」とおしゃってからまだ数日しか経って無いですが、今のところ毎日欠かさずにリハビリに来て下さったり、他の患者様からは「今日は貴方の姿が見えなかったから休みかと思った。」など少し気にしてもらえる存在になっているのかなと、思える声を頂けるようなった。 ほんの僅かな変化かもしれないが、私にとってはとても嬉しかった。 患者様との問診などの会話の時、今までは自分が得た医療知識をただ話していました。 それは患者様の事を思ってではなく『ただ自分はこんだけ医療知識があるんだぞ』『すごいだろ』的な感じの傲慢さやエゴなだけ。 それでは、患者様が本気で話しを聞く訳もない。 そんな事を平然とやっていたとは本当情けない。 まだ、医療現場で始めた働いていた頃の方がまだマシだった。 その頃の自分はまだ医療知識技術も少なかったから、只々真剣に患者様の事だけを考えて話をしていた時のほうが信頼を得ていたような気がしました。 いつのまにか知識と経験が増えたことで、いいほうに転ばず患者様に悪影響を与えてしまっていた事に気付かされました。 :::::::::::::::: 「明鏡塾」はこのように、医療技術や治療の方法を教えているのではありません。

パーキンソンの方の笑顔

3期目も再受講してくれている若い理学療法士から、臨床での報告が届いた。 彼は受講者の中でも、優秀な若者だ。 何よりも「気持ち」があること、そして「探究心」が旺盛なこと。 そして、「素直」なところだ。 それらが、彼をどんどん成長させていくのだ。 若いということは、医療関係ではマイナスに働く。 大方の場合、患者さんは彼よりも年長だ。 自分よりも年長の患者さんから信頼を得るのは難しい。 しかも、リハビリそのものを諦めている人もいる。 そこでどうするか?だ。 今日ブログで書いた「敬意」を持っているかどうかだ。 患者さんは、単なる思い込みは瞬時に違和感として反応が起こる。 彼は患者さんに「敬意」を払える、数少ない若者の一人だ。 【臨床での報告】 今日、パーキンソン病とうつ病を持たれてる方のリハビリを行った。 先月から介入している方で、だいぶ雰囲気が明るくなってきた。 今日、気になる点を触れた。 そして、お腹のストレッチをしてみたところ、今まで触れたりすると痛がる素振りを見せていたが、今日は全くなかった。 その流れで脇と上肢をストレッチした。 そうすると、前に骨折した左腕が今まで以上に挙がった。 その時、とても良い笑顔を見せた。 「こんなに腕が挙がったことがない」と驚いていた。 そして、驚いた時に自分は肉体の緊張が落ちたのを察することができた。 聴いてみるとちゃんと、ベッドと背骨が接地している面の感覚を感じることができて来ていた。 「とてもスッキリしました。」と良い表情で言ってくれた。

敬意と疑念

医療従事者と患者さんとの関係は、まさにここが必要なのだ。 どんな技術を持っていても、また、人間関係いうことでの技術を知っていても、本質的に患者さんに敬意を持っていなければ、信頼など得られる筈もない。 もちろん、同時に自分に対しての疑念も必要だ。 これらは両輪である。 医療従事者よりも人生を沢山歩いて来ている患者さん。 たとえ年が若かっても、学校でしか人を知らない医療従事者よりも、人生ということ、社会ということを体感している患者さん。 何れも、自分とは違う人生を歩いているということだ。 そしてその違いは、葛藤の質や量である。 そこをきちんと認識して置かなければ、患者さんに違和感や不安感を抱かせるのだ。 もちろん、それは医療従事者ということではなく、人としての基本的な姿勢である。 特にということでは医療従事者ということになるだけだ。

体感覚の重要性

ワーク・ショップでも、教室でも、もちろん、「明鏡塾」でも、ワークを始める前にデモを見せる。 例えば、手の角度が違うと力が出ないとか、体重を膝に移動するとか、とにかく、ありとあらゆるワークは、まずデモを見せる。 そうすると、Aの場合のデモとBの場合のデモの違いが分かる。 ワークをする人に、明確に分かるということだ。 しかし、ここに大きな問題がある。 見ている人は「確かにABの違いが分かる」が、何がどう違うのかを分かったのではない。 大きな印象として「違う」ということが分かっただけだ。 もちろん、そのデモを見慣れている人は、私の説明も含めて何がどう違うのかを「知っている」。 大方の人は、この「確かに違いが分かる」と「知っている」で止まるのだ。 もちろん、ワークの最中にそれが「偶然出来る」こともある。 そうすると「出来た→次は」になる。 そういうゲームは楽しい。 だからこのレベルが間違っているとは言わない。 ここを入口として、深いところに入っていってくれたら良いと思っている。 これは「武禅」など身体のワークではないワークも同じだ。 もちろん、その時も「偶然出来た」という現象が起こる。 問題なのは、2回は出来ないことだ。 そこを考えていくと、偶然その現象が出来た時、偶然だから「何が」出来たのか、「どうしたから」出来たのかが不明だからだ。 では、何故不明なのか。 出来た現象に対して、「何を目的として取り組んだのか」が曖昧だからだ。 そして、それは自分自身のどこから始まった目的なのか、そこも曖昧なのだ。 「明鏡塾」の受講生が優秀なのは、ここが明確だからだ。 自分は何者なのか、そこが明確であ

治療は信頼関係で成り立つ

沖縄のワーク・ショップを終え帰京した。 私のワーク・ショップで最年長の74歳女性の友達。 この女性が恐ろしくキレていた。 といっても頭が、だ。 歯科医をしていてリタイア、沖縄で悠々自適の生活をされている。 歯科大学に学んでいる頃から、治療に対して「おかしい」と思っていたそうだ。 「日野さん、病気は医師との信頼関係で治りますよ」と。 ご自身で、そういった体験をたくさん持っておられた。 「奇跡とか不思議とか人は言いますが、私は普通の事だと思っています」とも。 沖縄で、まさかこんな意見を持つ女性と出会えると夢にも思っていなかった。 「私の明鏡塾では、そこを強調して指導しています」 「良いことをなさっておられるのですね」 どういう訳か、最初から楽しんでワークを受けてくれている。 「一寸、ここまで出かかっているので、出していいですか?」 「出かかっているのでしょう、出したらどうですか?」 「はい、おばはん何考えてんねん」 大爆笑!! そして、「日野さん、昨日のワークで一つ発見したことがあります。私は自己完結しているので、何一つ不自由が有りませんせ、今更学ぶのは嫌です。でも、私に足りないものを見付けました。それは『サービス精神』だと、昨日のワークで気付いたのです。だから、これからそれを生きようと思っています」 打ち上げも遅くまで付き合ってくれていた。 頭脳明晰な方というのは、歯切れが良くて気持ちが良い。

側弯症が改善

「大阪明鏡塾」の1回目の講座後、ベテランの整体師の方からの報告です。 妻が小さい頃から側弯症だったのが1回目の手当てを試して見たら劇的に改善されました。 顎関節がずっと噛み締めているようなコリがあったのがなくなり、脊椎につっかえ棒のようなものがあったのが取れたとのことです。 首をかしげると確実に痛かったのが無くなったと言ってます。 手を当てている時は側弯症だからとか何も考えず、丁寧に触れ、呼吸を感じながら、それを行なっている自分に集中しないように触れている箇所からは目線を外してやりました。 効果を全く狙ってやらなかったことと効果も期待せずにやったことで、効果が出ました。 人の体も自分の体も強めに触れてしまうので、もっと丁寧にソフトに触れることが課題です。 2月もどうぞよろしくお願いいたします。

大阪明鏡塾

大阪明鏡塾で助手を努めてくれている理学療法士のコメントです。

当たり前の事が出来ていなかった

新しい患者さん(40代男性、くも膜下出血、両側麻痺、失語)を担当したときのことです。 新しい患者さんを担当したときは、リハビリ開始の前日の夜に挨拶にいく。 予定表を持ち、患者さんの部屋に行き、挨拶をした。 失語があるので身振り手振りを交え、困っていることを聴いていた。 「足が・・・」「看護師・・・」「もっと・・」「重い・・・」のように言葉が単語で途切れてしまう。 しかし、その言葉に続いていたであろう苦しさや思いは、私に届いていた。 やりとりをしながら、ふと寒いのかなと思い聞いてみたが、言葉では伝わらない。 しかし表情がそれを物語っていたので、すぐに布団とタオルをもう一枚持っていき患者さんに届けた。 すると表情は少し和らぐがまだ硬いままであった。 私は何が足りないの だろうと周りを見渡した。 テレビを見たいのだと直感した。 同時に部屋の気遣いのなさに気が付いた。 テレビのイヤホンが患者さんに届いていない。 テレビとベッドの距離が遠い。 リモコンが手元にない。 テーブルが手の届く範囲にない。 ごみ箱が捨てやすい位置にない。 ティッシュに手が届かない。 私はこれらの全てを解決した。 それでやっと笑顔が見られた。 その嬉しそうな顔が本当に嬉しかった。 「これで大丈夫ですね」と言った帰り際、全く同時に握手をした。 そして患者さんが「明日からもよろしくね」と言葉につまらずに喋った。 その言葉が大変に嬉しく、また、治療というものを考えるきっかけになっている。 実際、今回のできごとのように失語の治療をしているわけではないのに、治療が成立している。 明鏡塾の「聴く」と、部屋の居心地がよくなるため

「触れる」は進化する

「触れる」というのは、理学療法士としての私の現場では日常的行為です。 例えば相手に触れる時に、「何に触れるか」ということを明確にするだけでも、触れる手の印象は変わります。 そのことで、触れた手から得られる情報は変化しますから、患者さんにとって適切な部位に手当てをすることも可能になってきます。 日野先生は受講生に「自分自身が要求すれば、いくらでも『触れる』は深くなるで」と伝えてくれています。 これは私にとってはとても斬新な考えでした。 適切に触れるためには、解剖学的知識や運動学的知識、また触診の練習が必要だと考えるのが一般的でしょう。 私も臨床に出たての頃はそのように考えていました。 ですが、日野先生からその言葉を頂いたときに、ハッとしたのです。 「そうか、自分自身が自分自身の手に何をさせたいのか。 それを明確にする過程が触れるの進化なのだ」とその言葉から気づきました。 自分自身の手に何をさせたいのか。 それは言葉を変えると、自分自身の手に意思を持たせるということです。 意思のない手は、相手に大変な不快感を与えます。 『明鏡塾』では、まずこの意思のない手を、意思ある手に変えることが求められます。 具体的には何に触れるか、例えば筋肉に触れるのか、骨に触れるのか。 触れた部位から脈をとるのか、呼吸を感じるのか。 対象を明確にし、「どんな情報を知りたいのか」をはっきりとさせるのです。 そういったものに「深さ」や「質」があることは日野先生の「触れる」に、そして『明鏡塾』という場に教わりました。 「意思を明確に」という切り口の他に、「触れる」には必ず対象となる相手の存在があります。 そうな

大阪明鏡塾を体験して

初めての大阪明鏡塾は難易度の高いワークで終了した。 難易度の高いと言っても今回の受講生の方達ににとっては初めてだから難易度もへったくれもない。 ただやるだけであるが、驚いたのは無駄話をする事なくとにかく黙々と行うのである。 今の東京明鏡塾はそのような人はいないが、以前はただただお互い練習もせずに話をしている者がいたが、大阪明鏡塾ではそのような人はおらずとにかく行うのである。 だからその集中はかなりのものであり、初めから部屋の空気感が静寂でありながら心地よい状態になった。 もちろん東京明鏡塾とはその質は違うが驚くべき事である。 そしてその中でも取り組み方が少し違う男性がいた。 私もワークを行っているからほんのわずかな間なのだが、その練習を見ていると日野先生の言われた事に反応が良いのである。 勘が良いというのかスッと行うのである。 このような人を見るのはとても勉強になる(東京には多分いない) 言われた事をそのまま行う事の大事さ。 そのような事を教えてもらい、又今回のような体験をするといずれ東京、大阪合同練習会も行えればと勝手な想像をしてしまう大阪明鏡塾でありました。

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
  • Twitter Social Icon
  • Facebook Social Icon