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内科医の受講生との対話

「大阪・明鏡塾」を1期から5期まで連続で再受講してくれている内科医の来栖医師。

毎回の講座終了後、感想・レポートを送る事になっている。

その感想・レポートで、私からの返信をまとめて頂きました。

「明鏡塾」を知らない人に、何かしらのヒントになるのではとの配慮からです。


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「ワークは変わらないが、レポートが変化している。相変わらず課題は山積み」

これは良いですね。

それだけ進化・深化しているということですから。

内容はある面は繊細になり、ある面は明確になり、というようなことだと思います。

山積みの課題は、並列ではなく立体ですから、何か一つ掴むと、立体は崩壊します。

つまり、どこかの問題の山が氷解するということです。


相手の身体を動かして立たせる、というワークは、「視線」という得体の知れないものが、間違いなく実体化する、ということの訓練です。

ですから、「相手の身体を動かす」を、丁寧にそして厳密に手応えとして体感していく事が大切です。

その体感と視線の相互作用が、相手の身体に影響を与えるからです。


手の感触、視線の感触が同じになれば言うこと無しです。



「関係」という言葉の説明はほんとに難しいです。

もちろん、社会的な関係は、簡単に説明できますが、むろん、そんなことではありません。


理科の実験で「共鳴する」というのがあります。



この実験が、ある意味で分かりやすいと思います。

意識であれ声であれ、同じ周波数であれば共鳴するということです。

もちろん、「人」の場合、全員異なるのですから、基本的には共鳴しません。

しかし、こちらが相手に共鳴する、という策をとれば共鳴させられます。

それが「聴く」という実際なのです。

分かったような分からないような説明ですが、実際として前回の「聴く」は、殆どの人が相手の声の変化、意識の変化を感じ取りました。

というくらい微妙なことですが、そのことが、相手と関係出来る「私」ということになります。


色々試してみてください。




おっしゃるように「おれおまえ」が関係の全ての基本になります。

これが無かったら、何一つ成立しません。

もちろん、思いの世界の中で「成立している」と思うのは自由ですが、完全な自己満足なので、検証が成立しません。

世間は「思いの中」で生きているので、それで良いのですが。


「突然、歌い出す」への挑戦は面白かったでしょう。

あれも突き詰めれば、歌い出すから引っ張るのか、引っ張られたから歌ったのかが、分からない状態になります。

コツは無いのですが、歌い出す時に雰囲気が変化します。

それは目の雰囲気かもしれないし、全体の雰囲気かもしれません。

とりあえずは、自分のやり易い見方を開発して下さい。


「点を感じ取る」は、難しいと思います。

ここは、意識と具体のそれこそ接点になるところです。

最初に話した「思いは実現する」というのと同じです。

具体的に探すのですが、そこを誘導するのは意識ですから。




「死ぬのがこわい、というのは思いの世界の中だけの話なのか。」


そうです、「思いの世界の中だけ」です。


意識があるから色々余計なことを知り、一喜一憂するのです。

死ぬのが怖い、というのは、「不安」と取った方が適切な気がします。

つまり、「知らないこと」に不安になる、という、これも「思い優先」の結果ですね。


私の古い友人に単車の事故で二度臨死体験をした男がいます。

その男は色々と言いますが、それは「その男」の体験であり、他の誰のものでもありません。

つまり、「俺には、関係ないやろ」という事です。

この臨死体験にしても、その体験そのものはあると思います。

しかし、それを言語にしているその時点で、それは思いの世界に入ります。

臨死体験という体験を、自分の持つ言語や知識で解説するという事ですから、自分の持つ言語や知識は臨死状態の世界にあるものではありません。

ここの矛盾に気付かないから、引っ張られてしまうのです。


「思い患う」は、ピッタリの言葉ですね。

私はその言葉を忘れていました。

昔は「恋患い」なる言葉がありましたね。

まさに「恋」という幻想にドップリとはまり込んで、極端な自律神経失調症になっていたのだと思います。


もちろん、言葉は大事だし考える事も大事です。

しかし、それを「使う時」を間違えてしまっている、あるいは、混乱してしまっているのが、多分産業革命以降の私達だと思います。

幻想が作り上げた世界、つまり、幻想でも世界を作り上げる事が出来るし、逆に幻想がなければ「物」を作り出すことはできません。

その意味で、幻想という世界、あるいは、幻想という働きも大事なのです。


ただ現場では、思考よりも「見る→行動」という回路が重要なのですが、そこに「幻想→行動」という回路が邪魔をするのでやっかいなのです。


「息を合わせて押し込む」が、思ったよりも難しかったとあります。

もちろん、レポートに書かれているように、思考が働いて全てを分断しているからです。

そして「息を合わせよう」と意識も働くからです。

だからこそ、「言葉化してはいけない」となるのです。

この実際と言葉は、多分、人にとって永遠の課題だと思います。





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