希望が身体に影響を与えた

今回臨床で、今まででは信じられないことがあったので報告させていただきます。 脳出血を煩い左半身の麻痺が残る状態で自宅療養されている利用者さんなのですが、以前から「昔お世話になった病院に歩いていきたい。そしてお世話になった先生方にお礼を言いたい。」という希望があり、今回がそのタイミングだと思い、シルバーカーを使って一緒に病院まで伺いました。 いつもであれば、歩き出して10分もすれば歩くスピードが落ちたり、足腰に疲労を訴えられたり、足の緊張が高まってしまうのですが、今回は終始スピードも変わらず普段の2倍以上の距離を歩かれました。 その後、病院で昔お世話になった先生方と再会され家に戻った後、足の状態を調べると足の緊張や腫れが歩く前よりずっと良くなっていました。 医療従事者の視点でみると「足を過剰に使うと足の緊張が高まってしまうからどれだけ歩く時に足の緊張を出さないようにアドバイスしていくか」ということを考えたり「いつもより歩いたから足の状態は悪くなっているに違いない」とこちらの知識や偏見を押し付けてしまうことが多々あります。 しかし、今回の事例では利用者さん自身の「希望を叶えたい」という氣持ちが身体にも何らかの作用を及ぼしたのではないかと感じざるをえませんでした。 今回の結果は、利用者さん自身の「希望を叶えたい」という想いがあってのことだと思いますが、「利用者さんの想いに適切に応えられているだろうか、むしろ自分のささいな行動や態度や声掛けで、利用者さんの想いや自己治癒能力を阻害していたのではないか」という事例の方が今となっては多かったように思います。 今回は、結果にたまたま僕がいあわ

患者さんへの言葉

先日の臨床で、面白いことが起こりましたので報告させていただきます。 過去に脳梗塞を患って自宅で生活していた患者さんで、左股関節の痛みと足のむくみがひどかった。 そのため、足の動きが悪くなり立ち上がりに時間がかかっていた。 1ヶ月くらいの介入で、左股関節の痛みはなくなり、立ち上がりはスムーズになった。 そして、当初は履いていた靴も窮屈だったが、足のむくみがほぼなくなったことで靴にも余裕が出てきた。 先日の介入の時に、話をしていて「今後何をしたいのか。」ということを聴いた方がいいのではないかと感じた。 そのタイミングで「○○さん、今後何かしたいことはありますか。」と聴いた。 そしたら、「孫とキャッチボールがしたい。」と答えてくれた。 昔から野球が得意な方で、長い間草野球もしていたという背景がある。 そして、その質問への返答は即答だった。 そのため、少し思い切って両膝立ちの姿勢からゴムボールでキャッチボールをした。 そうすると、みるみる顔が良くなり姿勢が伸びた。 最後に、「とても楽しかった。」と答えてくれた。 この日は、どんな体幹トレーニングをした時よりも綺麗な姿勢だった。 そして、次来た時も治療効果はいつよりも持続していた。 ついつい、リハビリとなると「○○筋を鍛える」と考えてしまったりする。 そうではなく、本来のリハビリというのはこの患者さんにしたことのように思える。 この体験を通じて改めて「リハビリ」ということを考えなければと痛感しました。 日野先生も書いて下さりましたが、患者さんに対して何を喋るか。 そのタイミングというのは、その場で決まるものではないかと思います。 振り返れ

納得が起こった時

背中に手を置くワークの途中で先生に 『いま、なんでやり直したんや?」 と言われ 『なんか、このままやるとうまくできそうにない、違う気がする』 と答え 『それや、それは感情に振り回されてるいうことや、  何かやろうとしたら常にそんな感情は出てくるで、せやから、それに振り回されとったら何もできへんいうことや』 と言われた時に初めて自分の中で、今までなぜできなかったかということが、分かったというか納得できたというか 『あ~なるほど、』 ということが自分の中で起こりました。 そして今まで、なぜ自分ができなかった理由が、わかったようなきがしました。 そしたらその日から、自分がやろうと決めた自分に対しての課題(例えば講習会などを受講したら帰って復習をする、自分が気になっていることなどについて調べる、勉強する、練習をする、身体を動かすことやストレッチなどなどです。)を、今までは週に1、2回やっとの思いをしてやっていたものが、毎日できるようになりました。 これまで、怪しい自己啓発セミナー、精神世界系、本などで、感情について言われたり、聞いたりしていたのですが、全く意味不明というか全く心に響いてきませんでしたが、日野先生に言われて本当に絶妙にピタッとはまった感じです。 『これが本当に相手に伝える』 ということかと思いました。 それから以前から左目に違和感があり、乱視もあったのが、違和感が減り乱視も少し良くなり視力が少し上がったように思います。 3回目までの明鏡塾を終えて、自分にとっては精神面の変化がかなり大きいみたいです。 明鏡塾のすごさを感じます。 他では味わえないで

大阪明鏡塾講座Ⅱ

「大阪・明鏡塾1期」講座Ⅱの感想文。 助手の長谷川君からです。 :::::::::::::::: 冒頭の「前講座から今日までの変化」で言葉についてお話をさせて頂きました。 経緯は東京明鏡塾3期の時に、日野先生からは「言葉は接着剤」である。 というアドバイスを直接頂いていたからです。 その時は、なんのことか全く見当がつかなく忘れていました。 しかし、1月の大阪明鏡塾後から何故か分かりませんが、その言葉が自身の問題として浮かび上がってきました。 理由は分かりませんが「言葉は接着剤」という言葉が頭から離れなくなったからです。 そこで早速前回の明鏡塾の後に、感想文で文章を作成してみました。 確かに、自分の言葉で文章を書いているような気がするのですが、読み返すと自分の言葉と誰かの言葉(明鏡塾で言えば日野先生)を混同しているように思えました。 自分の言葉と誰かの言葉の判別が付かなければ、自分の考えていることや実際にやっていることが明確にならないのです。 文字面を追えば意味は通じているように思われます。 しかし、中身はその言葉を使っている自分に取って曖昧なものであり、自分で書いたものが自分でも分からないという現象が起きました。 そのような文章では利き手にも伝わらないと思います。 伝わらないというより、そもそも中身がない言葉であると思います。 そのあたりを曖昧にしていても、世間では互いにコミュニケーションを取れていると勘違いしているのです。 「自分の言葉」という部分を切り取れば、「自分の言葉」はどのように形成されるのかという疑問が湧いてきます。 自分の言葉という表

認知症だから、という対応は逆効果

「明鏡塾」では「触れる」がメインだが、その側面に「聴く・伝える」がある。 「聴く」というのは、ドッカと腰を据え聞こえてくる声や音を耳にすることではない。 それは、ただの受け身の状態であり、武道で言えば「死に体(しにたい)」である。 「聴く」とは、こちらから相手からの情報を取りに行くことだ。 しかも全身全霊で。 そういった稽古からの報告がありました。 ::::::::::::::::::::: 患者さんで「聴く」 が活きた症例を報告します。 最近担当になった患者さん(小脳出血、両側前頭葉の梗塞)で明鏡塾の「聴く」が良い変化を生みました。 この患者さんは、運動機能としては比較的保たれているものの、軽度の認知症と前頭葉症状(性格の変化、状況把握の障害、理性が働きにくい) が あり、夕方に近づくにつれ暴力的となっていた。 その対処として強めの精神系の薬を服用されぼーっとしていることが多く、さらに体を拘束されていた。 この方は私の最初の介入から既に怒っており、会話はおろか一緒にいることもできない状態であった。 まず最初に整容をし爪を切り、ご家族に本人の好きだった紅茶を用意してもらい、とにかく安らぐよう対応した。 3日間ほど行い徐々に穏やかな時間が増えリハビリが少しずつできるようになってきた。 昨日のリハビリは昼食後で、すでに車椅子の上で寝ており寝言を言いながら怒っていた。 その内容としては「病院は人を待たせてどうなっているんだ。はやくしてくれよ。だからだめなんだ。」 私はそれを見て、とにかくベッドに横にさせてあげたいと思い、リハビリではなくベッドで寝ることを選択した。 ベッドに横になっ

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