top of page
yamashamisyaka-3.jpg

やる事が山積だが

「明鏡塾」で指導している事の中で重要な要素として「流れに乗る」がある。

馴染みのない人には「何のこっちゃ?」だろうと思う。


「流れ」には、治療の流れや、会話の流れ、場の流れ等々、そして、患者さんそのものの流れ、これは呼吸や鼓動だと考えても大丈夫だ。

但し、余り固執せずにだ。


そして患者さんとの「距離感」と「入り身」がある。

入り身は、文字通りある特定の距離から、患者さんの内に入る事だ。

これが出来ないと、患者さんと密な会話や深い共鳴を分かち合う事はできない。


大阪10期4講座目が終わってから送られてきたレポートに、この事に触れているものがあったので紹介する。


::::::::::::::::::::::


「相手の間合いに違和感なく入る」


患者さんとの違和感のない立ち位置、これも一緒のように感じています。


入口が大事であり、患者さんを出迎えるところ、玄関からすでに始っている。


玄関の前から始まっているかもしれない。

患者さんの車が駐車場に止まる。

車のドアを開けて、閉める音がする。

視覚的には見えないが、患者さんが、玄関に来るのを感じる。


その後、玄関に患者さんが来る。

入口で出迎える、視線で患者さんに触れる。

わたしは、自然と言葉を発し、目で聴いている。


「○○さんこんにちは!今日はどうしたんですか?」


「足のガングリオンとってもらってんけど、痛みとれへんから来てん。」


「とってもらった箇所の傷が痛いんとちゃうんですか?どっちの足ですか?」


「傷の痛みは全くないねん。左足の腫れてるところが痛いねん。」


≪わたしは、会話の流れを途切れさせないように、自然と息を吸い込んでいた。》


◎この文章を書きながら、いつもやっている流れを感じる稽古が、まさにこの時に生きていることに気づく。

日野先生はすごい。

様々な稽古が色んな所に生きてくる。

『無意識で流れにのって息を吸い込む自分がいる。』


「OK!左足ですね。」


私は、玄関の椅子に座っている患者さんに、近づいた。

左足のぽっこり腫れた炎症のある個所に、いつものように、左手を当てにいっている。


「これで炎症とったら大丈夫ですよ。」


「左足がビリビリしてんねんけど。」


「大丈夫ですよ。もうちょっとで、なくなりますから。」


二・三分後


「今どうですか?」


「ビリビリも痛みも無くなったで。不思議やな。」


「そうですね。良かったですね。笑」


判断もなしに自然とそうしていた自分がいました。

気づいたら患者さんの傍にいました。


一番違和感なく立てる位置はどこかな~と考えてやっているのではなく、気づいたらそこにいる。


人によって、状況によって、相手との関係によって、その立ち位置は違ってくる事に気づきました。


::::::::::::::::::::::


このレポートの主は中堅の柔道整復師だ。


彼が書いているように、「明鏡塾」では治療の方法ではなく、患者さんとの関係を教えている

もちろん、その中に「患者さんに触れる」があり、それは施術家や医師・看護師・理学療法士他療法士や柔道整復師・鍼灸師・整体師達の「施術」そのものと関係する。

その意味で、「手」を繊細に働くようにトレーニングを行う。

「手」の送受信能力を高めるものだ。

それは患者さんとの「関係」と直接関わるものだし、「施術」そのものだからだ。

そこでの最重要ポイントは、患者さんに「違和感を与えない」為のものだ。


これを読む皆さんは施術家だからご存じだろう。

病気や故障の大敵は「違和感」だ。

違和感は患者さんを緊張状態にさせるものだからだ。

つまり、医療従事者は絶対に患者さんに「違和感」を与えてはいけないのだ。

そこを徹底する為の「手」であり「触れる」なのだ。




特集記事
最新記事
bottom of page