医師も推薦する医療従事者向けセミナー
受講生の成果
毎講座ごとに送られてくる報告から
「明鏡塾」では各講座終了から、次の講座迄の間にレポートなり、現場での変化の報告を受取ります。
それに対してアドバイスを送ります。
5期 看護師
Aさん70代肺がん、脳転移、PS4。せん妄があり意識は朦朧としている。
この週末にせん妄が悪化していて、精神科医と訪室すると、
口唇には痰がこびりつき、口の中は乾燥して痰がこびりついていて口臭がきつい。
このままでは誤嚥性肺炎(恐らくもうなっているが…)にもなることを考えると口腔ケアをする必要がある。
受持ちの後輩が部屋に入ってきて「口すごいですよね。嫌がってさせてくれないんですよ。さっきも30分くらい話を聴きながらやろうとしたんですけどだめだったんです」と話す。
そこでそんなAさんの手に握手の形で触れながら、目を合わせて口腔ケアをさせてほしいことを言ってみると、口を一文字にギュッととして首を横に振る。
手には力が入る。
痛い思いをするから嫌なのか問うと頷く。
吸引で痛い思いをしてきたことは予測できた。
痛い思いをさせないことを約束するので、お口の中を冷たいスポンジでさっぱりさせましょうと提案するけど、首は変わらず横に振る。
ためしに、スポンジを口元にもっていって気持ちいいか聞いてみると頷く。
しばらく口唇をスポンジできれいにして、表情はわずかに過ごしずつ和らいでいき、気持ちいいか聞くと頷く。
それを私も笑顔で喜ぶ。
Aさんの目は緊張が少しとける。
そういうやりとりを繰り返していると急に口を自ら開けてくれて、口の中もきれいにすることができた。
最後には顔も温かいタオルで拭いて表情が穏やかになる。
その間ずーっと手を握っていて、
終わったことを伝えると手を握り返してくれた。
力強い。
そして咳に伴い痰が口元まであがってきたが、Aさんは意識レベルや認知機能が少し低下していることもあり、自分でティッシュを手に取ってと言う行動が起こらなくなっていて口の中に痰がたまっていく。
でも私がティッシュを口元まで持っていって「痰出せますか」と聞くと出せる。
吸引をしなくても自分で出せるのだ。
看護師が何を見て、聴いて、感じているのか。
というより、見えていないこと、聴いていないこと、感じていないことがたくさんあって
ケアしているということなんだなと感じた。
私もそうだったなと思いながら。
明鏡塾に入って、試行錯誤ですが、看護実践の根本を支える関係性を明鏡塾で学び始めて私の関わり方やケアは変わってきているんだなと認識できた。
そして、やっぱり看護師の仲間を増やしたい!笑
頑張ります。
5期 理学療法士
今日は臨床で感動することがあった。
多発性脳梗塞《両側片麻痺、失語、末期直腸がん、嚥下障害、失行(模倣、物品使用に障害)》の方を治療していた。
今までは治療と言っても多発性脳梗塞本人の意向に合わせた受け身の治療であった。
立ちたくないと言えば立つ訓練は行わない、気分が乗らなそうであれば車椅子に乗らない、触れて欲しそうでなければ体に触れてあげない。
「本人の意向に合わせた」という言葉で自分を守って、こちらからは何も働きかけなかった。
まず、ひとつ目に感動したことは、その人の声を聴いたことだ。
「今日は車椅子乗りますか?」と声をかけ、いつもであれば険しい顔をしながら首をひねるところだ。
しかし今日は「ちょっと待って」とはっきりその人の声を聴いた。
この患者さんはめったに声を出さない。
相槌や笑うときだけ音声が出る。
私は本当に嬉しかった。
はっきりとその人の声が自分に入った。
私はその待つ間、背中、首、足を丁寧に触れた。
いつもは柔らかく、弱く感じていた体がしっかりしているように感じた。
いつもは弱く感じていたから、私の触れ方は弱く、遠慮がちな、躊躇した腰が引けているような触れ方であった。
しかし、今日は、その人を触れているような気がした。
いつもは気にならなかった手の武骨さを感じ、今は筋肉が落ちたが、若かりし頃の強い腕を、今の腕に見た。
そのような時間を過ごし車椅子に乗るときも、自然と介助が楽であり、患者さんが自分から私に飛び込むような瞬間を見た。
車椅子に乗り病院内をいつも通りの道を散歩した時も、患者さんから、指を動かし、あっちに行きたい、こっちにいきたいと合図をもらった。
部屋に戻りベッドに寝て頂いてから私が帰ろうとしたときにもう一つ感動したことがあった。
帰り際に、患者さんが、両方の指を私に見せ小指から順番に折り曲げ何かを訴えていた。
それが何のことなのか、私にはわからなかった。
正直諦めそうになった。
それでも分かりたくて、その手を握った時、即分かった。
「爪切り!!」と私は声に出した。そうすると患者さんは口をあけて笑っていた。
ガッツポーズが出た。患者さんの爪が私に叫んでいた。
明鏡塾で日野先生の声掛けが体に突き刺さるのと似たような感覚であった。
私は爪切りをナースステーションに借り爪を切った。
その爪切りで学んだこともあったがここでは省略する。
嬉しかったことは患者さんの声にならない声を少しでも聴けたこと、これはもちろんだが、今回の明鏡塾の参加の目的として、「自分のためでなく、何がなんでも患者さんに還す」をテーマとしていたから、より嬉しく、嬉しさを色濃く感た。
嬉しさを感じたと同時に、日野先生、和子先生、明鏡塾の皆との時間を想った。私はこの道を進みたい。そう思う臨床だった。
5期 理学療法士
以前よりもより流れが自然であり、相手も自分自身も無理がないような感覚となってきたように感じます。
患者様の身体の変化や、患者様自身での変化の気づきも早くなりましたし、自分自身が施術をしていて疲れなくなりました。
また、何かこちらから問いかけたわけでもなく、自然と患者様から、身体のこと以外でも自身の今の悩みや今までのことなどを話してくださる機会が増えました。
ただただ聴いているだけでアドバイスをしたわけではないことも、話されたあとは、「なんだかすっきりして、安心したわ」などのお声を聴く機会も増えました。
自分自身の中でも施術に対して、以前は「上手くいくかな?」「失敗するかも」「悪くさせたらどうしよう」「不安の中、どうしていこう」などの気持ちが多かったように感じますが、
今では「楽しい」気持ちや「どうしていこうかな」「どうなっているんだろう」「どうなっていくんだろう」などの探求心からくるわくわく感が増えましたし、「変わらない、痛みが増した」などの返答があったとしても、「そっか。じゃあ、次はどうしてみようかな?」など、次の手を考えるスピードが増したように感じます。
子供の頃に感じていた、素直なわくわく感や探求心がよみがえってきました。
5期 理学療法士
施術をするさいに患者様の身体に触れるのが、その部分が視覚的に突出していたりすると、“触れる”という動きをしながらも、すでに“突出している→押す”という思い込みで、全く感じ切れていないことに気がついた。
視覚からの情報をかなり頼りにしている、それがかなり想い込みに繋がっていることに気がついた。
また、今までの治療技術として学んだ“こっちに骨や筋肉を触れたらこっちに押す”“このように触れたら骨や筋肉はこうなっている”など型にはまった形式がすでに頭に出てきてすまう。
触れて感じ切れてない段階で、型にはまった方向に操作していたり、頭の中で筋や骨格の標本のようなイメージが浮かんでいたりと、頭が騒がしく集中できていない。
今まで座学で学んできたことが、逆に邪魔をしているような感覚になり、無駄だったのか?とどこか不甲斐ない感覚になってしまった。
また、場所を移動するなどの次のアクションに移るさいにも、“感じきる”をそっちのけに、次のアクションに頭が騒がしく、施術の最後の最後のところを大切にしていないことにも気がついた。
それからは、一つ一つ自分の癖に気づける範囲で、“感じ切る”を自分なりに実践している。
そうすると、治療技術として学んだような“こっちに突出していたらこっちに押す”など、一直線的な動きをするのではなく、当たり前ではあるが一人一人に、それぞれの部位に微妙な動きや反応しだすタイミングに違いがあることを改めて感じることができた。
“感じ切る”をすると、刺激の方向や時間など型にはまることはない。
ほとんど目には見えない部分ではあるが、自身の身体も流れにのって動き、刺激の方向もおもってもみない方向から刺激を加えていたりする。
以前から、自分の言葉として用いていた“筋肉が緩む”や“関節が動く”などという表現も、“勝手に馴染んでいく”という表現の方がしっくりくるような感覚であり、患者様の身体が変化するのが感じられる。
症例としては、右片麻痺で右下肢の感覚障害(表在・深部感覚:ほぼ鈍麻)と呈する患者様がいる。
発症からは1年半ほど経過した段階から関わっている。装具と杖を使用して自宅で生活されている。
歩けるか、歩けないかというと家の中も外も歩ける。
しかし介入当初から、“右下肢の感覚がわからない”“右足が不安定、怖い”“この症状はよくなるのか?という訴えや不安が強い方であった。
会話など表面的な部分では、自分自身の身体のことに関心をよせている(どうにかしたいという想いが強い)ような反応である。
しかし私には、どこか他人事のようにおもっているような、内と外(言動と行動)が一致していないような、違和感をこの方に感じた。
事前の病院での情報からは、性格は内気、人との関わりは苦手、リハビリ意欲はない。などの情報があがってはいた。
この人に感じる違和感はなんなのか?疑問に感じながらも、相手と向き合った。
ご自身の内側を話して頂けるまでには、日数はかかったが、関わる中で話を聞いていると「病院でのDr.やリハビリの先生にはよくならない」といわれた、「病院でうけていたリハビリ、本当にこれを続けて意味があるのか疑問に感じていた」とのことで、希望がなくなっていたとのことだった。
自分自身では本当はよくなりたいけど、「よくならないと言われたから」「やっていたことに意味があると感じられなかったから」半ば諦めているご様子であった。
この方と関わる中でも、“触れる”や“感じ切る”を課題にした。
この方に関しては、感覚の回復に装具が逆に邪魔している、足が死んでいると感じたので、裸足でのリハビリを開始。
それとともに、表現が苦手な方ではあったが、リハビリの前後や日常生活で感じたこと、感じないことも含めて自分なりの表現でどんどん表現してもらった。
最初は、“感覚が分からない”というよりも、自分の発言に自身なさげであり、合っているのか不安という感じであった。
“合っている・合っていない”が重要ではないこと、あなたがどう感じるのか、何を感じるのかが大事であることも伝えながら関わっていった。
今では、感覚として心地よい面もよくない面も含めて、自分自身の言葉で日々の変化を表現してくれる。
それとともにどんどん感じる感覚が増えている。
“足の裏で感じるのってこんなに気持ちがいいんですね”と回復するとともに自分自身の身体に喜びを感じている。
まだまだ、完全に自分の足で歩いているという感覚ではないようだが、「本来の姿にもどってきている感じがする」と嬉しそうに話される。
この方を通して学ばせて頂いたことが、頭の中の“治らない”というおもいや、喜びを感じられていなかったこと、自信のなさや、自分なかの独特の感覚を表現できていなかったことなどが、本来の回復を妨げていたんだなと感じている。
“触れる”“相手と向き合う”ことの大切さをつくづく感じた症例であった。
今回もたくさんの学びをありがとうございました。
まだまだ、わたし自身が自分と向き合う課題がたくさんあるなと感じながらも、自分自身と向き合うことの大切さだけではなく、喜びや楽しさを感じるようになってきています。
それとともに、人と関わることの喜びや楽しさを以前よりもたくさん感じるようになりました。
本当にありがとうございます。
5期 内科医・東洋医学医
明鏡塾を受けてから、実際の診察の場で、患者さんをより親しい人として、感じられるようになったと思う。
スムーズに診察が進む人は心身に良い変化を与えられていると思われ、「ここに来るとほっとする」という人が増えた。
明鏡塾で学んだことは、無意識に身についたクセを変えることであり、しいては生き方を変えることになる。
姿勢、体の動かし方、意識、感覚の使い方、意志の発動の仕方など、無意識にやっていることが、今の時点での生き方を表わしている。
そしてそれらは自我と結びついて変な癖がついている。
しかも自分ではそれが普通だと思っているのでよけい始末が悪い。
よって一つ一つのクセに気づき、素直で自然な方向へ修正する必要がある。
ある日は「目で聴く」、次の日は「点で感じる」など、日によって気をつけるテーマを変えていって一つずつ地道にやっていかないとクセは修正しづらい。
一朝一夕にはできない難しいことだ。
しかしそうして自分の生き方を変えていくと、無意識下で他人も良い方へ影響されることが明鏡塾のワークで実証済みであり、やりがいのあることだ。
明鏡塾がなかったら決して知ることなく死んでいたであろう、生きていく上での大事なことに気づかせていただき、ただ感謝の一言である。
5期 理学療法士
私は、理学療法士です。
明鏡塾に通いはじめた当初は、胸を張り自分を名乗る事が出来ませんでした。
理学療法士と名乗っても、理学療法士としての自覚や立場の曖昧さが気になっていました。
自覚や立場の曖昧さというと、理学療法士は西洋医学、根拠に基づいた医療を提供する事が大前提であり、私はそれに違和感を抱いていました。
教科書に書いてある事だけで、人の身体が治るのか?
それ以前に身体だけではなく、接する上での心など大切にする事があるのではないかと。
違和感を抱きながらも机上の知識を学び続け、紆余曲折を繰り返しながら病院で働き続けてきました。
もちろん、仕事も楽しくありませんでした。
理学療法士としての仕事ではなく、作業という言葉が当てはまっていました。
そんな時、明鏡塾に通うようになり、日野先生と出会いました。
日野先生と出会い、ワークを重ねる中でこれまで机上や、他の治療手技のインストラクターから学んできた事とは全く異なるもの、教科書には載らないものの、誰もが大切にするべき人と人との関わり合いがもたらす作用が、身体や心に働きかけ生み出される現象や効果を目の当たりにし、体験してきました。
それは、回を重ねる度に身に染み入るようになり、毎回のワークが驚きの連続、本当に楽しんでいました。
私の感受性は、私だけのものです。
しかし、この感受性を封じ込めたまま理学療法士を続ける事はむず痒く、何かを探し続けたと思います。
明鏡塾に通い、臨床へ帰る。
今までは頭の中で医学的な言葉の応酬が繰り広げられ、言葉に操られそうになっていた自分がその言葉を無視し、思い切り患者さんと関わりにいく。
そこで生じた感覚や現象を、後に言葉で整理をする事を繰り返してきました。
今、臨床がとても楽しいです。
こう思えるようになったのも、明鏡塾で日野先生から指導を受け、自分の感受性に向き合ってきたからなのかと感じています。
言葉に操られるのではなく、自分の言葉を話す、そして日野先生がおっしゃっていた人と人との関わり合いの中で言葉を選ぶのではなく、自然に言葉をかけられる関わり合いを目指せるように、また日々を精進していきます。
迷った時は一点凝視、私の心はこの半年で強くなりました。
私は、理学療法士です。
今なら胸を張り、自分を名乗れます。
5期 歯科医師
この間お話しさせていただいた、健診会場を含め医療機関に入れないお子さんの件ですが、2歳で母の治療と分かる年であり、また母親は子供の頃からうちに通っており、それが最初に泣かずに入って来れた理由だと思います。
受付には、親が「泣いたら帰ります」と状況を説明してあったらしいのですが、泣かないので私は何も聞かされないまま、母親とのみ会話し治療しました。
その間ずっとお母親にくっついていました。
その次に来た時には、自分からおもちゃを取りに行き、スタッフと遊んでおり、帰る時には一言も話していない私にまでタッチをして帰ってゆきました。
その姿を見て、母親の口から初めて今までの状況の説明と、保健師さんに発達障害と言われ悩んでいたこと、今回の子供の姿を見て絶対に違うと思うという言葉と共に笑顔がありました。
私も含め初回は誰も子供と話しをしておらず、母親とのみ話をしていただけなので、これも「目で聴く」事で母親の安心感や安定感が子供に通じたのでしょうか。
嬉しい驚きでした。
5期 理学療法士
「面と点」は非常に治療の場面で役に立つ。
普通に筋肉をほぐそうとしても、何か抵抗感を感じることが以前はあったが、その壁をすり抜けるように点で触るようにしていくと筋肉が簡単にほぐれていく。
これからももっと深くしていけるように自分に要求していきたい。
最近臨床では、「先生の手は本当に温かいわね。」「指先から何か出てるわね。」と嬉しい感想を多くいただく。
そんなところから信頼は生まれるのだと感じる。
一見見落としてしまうような部分であるが関係なくしてその人のリハビリは進まない。
関係ができるからこそ知識・技術が活きる。
または、関係できるからこそ必要な知識・技術がわかってくるのではないかと思っている。
それは、勉強しないでいいのではなく自分が理学療法士として関係性を求め、取り組むからこそ理学療法士として求められることが心底わかるのである。
これからも、明鏡塾で関係性を磨いていきたい。
5期 整体師
今回、椅子に座っている人の仙骨に触れ楽に立たせるという稽古を行ったが、どうしても日野先生が行われている事と自分が行っている事全てに大きな隔たりを感じていた。
何がではなく全てである。
日野先生に立たせてもらった方に、どのような感じだったかを聞くと、日野先生の手の感触や日野先生の動きを説明してくださるが、どうもしっくりこない。
日野先生からは「魚を捕らえる投網のように一気に引き上げるように」と言われるが、頭の中でのイメージで終わってしまい、しまいには色々と分析を行い始めてしまっていた。
その後、終わり際に日野先生が私を立たせて下さったのだが、日野先生の手が私の仙骨に触れた瞬間から私とは全く違うのである。
それは手の感触とか、私の体の誘導の仕方とかの違いもあるだろうが、私が感じたのは日野先生と私との「意志」の違いである。
日野先生が私の横に来られ仙骨に触れられた時から、「私の体をしっかりと触れてくれている」と体の中から沸き起こり、安心感に包まれて気づいたら、いつの間にか立っているという状態であった。
日野先生はしっかりと私に触れて下さり、私は触れていないのである。
見た目は触れているが、私には触れてなく、所謂「関係性」がないまま立たそうとしているのである。
もう少し細かく言うと「意志の濃さ」「意志の明確差」の違いと感じた。
「意志」は目に見えないものであるが、間違いなく相手は無意識に感じている。
日野先生が相手に歌を届けると涙を流す人が沢山いるが、その方は「日野先生は私に歌を届けてくれている」と心から言われていた。
相手の歌を眼で聴くもしかりである。
私はそれを「意志」であると感じた。
この事はもっと掘り下げるべきであり、単なる思い違いであるかもしれないが私にとって大切な課題を頂いた5期生最後の講座であった。
「自分は何者なのか」とは「自分自身がどう在らなければならないか」と今回のレジュメに日野先生の言葉として書かれていた。
マニュアルではない、重い言葉である。
この言葉を胸に秘めて我が道を突き進んでいきたい。
5期生の皆さん、お疲れ様でした。そして有難うございました。
5期 理学療法士
・寝ている人を起こす。
起きたいという直前に起こす。手に何かしらの変化があり、それを感じてそのまま挙げる。
理学療法の世界では、動作に先行して体の反応が起こることをAPAs(anticipatony popostural ajustments、予測的姿勢制御)と呼ぶ。
例えば上肢を動かす前には背筋と大腿の筋が筋電図上活動していることが確認されている。
理学療法ではこの反応を踏まえたうえで動作を介助したり動かす訓練をするとよいと言われているが、実際に何をどうすればよいのかは不明であった。
私は、この体の反応があることは知っていたが、一瞬のことなので、反応を捉えることは不可能だと思っていた。
しかし、明鏡塾でのワークにより、相手の動く意志を感じられるようになってくると、相手に反応できるようになってきた。
相手の意志に即座に反応することは臨床で非常に役に立つ。
感覚の鈍くなった患者さんと一緒に手足を動かす訓練や、立ち上がり、歩行など、患者さんが一人でできないことを手伝うときに、相手の感覚を分かりやすくしたり、相手がどこで困っているのかを察するときに役に立つ。
相手の意志に即座に反応できれば自分の関わりが既に治療になっている。
目指すべきはこの状態だと思う。
感覚と身体操作をもっと磨いていき、患者さんを良くしたい。
5期 内科医師・東洋医学医
明鏡塾で学んだことは、瞑想にも日常生活にも生かせて、気づきがどんどん広がる。また東洋医学ではバランスの崩れ、調和の乱れがひどいと病気とみるが、ヒトの病いの本当の始まりって、こういうことから始まっていたのか、みたいな気づきもあり、病気と健康について本質的なことを考えさせられる。5期もあと1回で終わるが、死ぬまで遊べそうな課題をたくさんいただいて感謝だ。
5期 歯科医師
木曜日の朝急患でいらした方は、左の奥歯が痛くて目が覚め、痛み止めを飲んだが止まらないと言う電話があり見えました。
暫くお話を伺い、今の様子を聞くと、噛むと違和感はあるが痛みはないとのことでしたので、簡単な処置で終了しました。
たまに同じ事があり、今までは漸く痛み止めが聞いてきただけだと思っていましたが、「関係性」を感じたケースでした。
5期 理学療法士
脳幹出血を発症し、重度四肢麻痺を呈した50代女性のリハビリを行う機会があった。
現在、この方は回復期でリハビリを行っており、入院してきた急性期の頃は私が担当していた。
担当した当初はいつ亡くなってもおかしくない状態、人口呼吸器を挿管され、家族も延命治療は望まない形で刻々と時間だけが経っていった。
経過していく日々の中で、この女性は生気を取り戻し始める。
介入一週間後には意識を取り戻し、その数日後には拙劣ながら言葉を取り戻した。
今では自力で座れる程に回復をしている。
私が関わっていた急性期の頃と、回復期にいる今では比べ物にならない程に心身共に良くなっている。
がしかし、思うように言葉が出てこず、伝えることも難しいため、癇癪を起こす事が多い。
つい最近の話、回復期の担当が不在の日に久しぶりに介入する機会があった。
その中で、こんな一幕があった。
私が立位訓練を行おうと平行棒に連れていった時、その女性が必死に『おきる』と私に伝える。
私は車椅子から身体を起こす事なのかと判断し、車椅子から背中を起こした。
しかし、女性の『おきる』という訴えは止まらず、私は何を伝えられているのかが、分からないままであった。
その後も、女性の『おきる』を聞く。
しかし、一向に分からない。
そのうち、女性は癇癪を起こす。
言語化された訴えの裏にある、本当に求めている事。
私はこの時、女性の訴えを『聴く』事を疎かにしすぎていた。
普段、明鏡塾で訓練している、『目で聴く』。
『聞く』と、『聴く』では意味合いも中身も全く異なるものになる事を、その瞬間に実感する。
その後、その女性の目を『聴いてみる』。
すると、伝えたかった事が『平行棒に掴まってこれから立つ』という事だというのが伝わってきた。
私は、この体験を猛省している。
自分の見たいように、考えたいようにしかせず、目の前で起きている現象や訴えを疎かにする事の恐ろしさ。
言葉や身体を用いたコミュニケーションの手段を無くしても、気持ちはそのまま形を変えない。
このように、現場には声をあげたくてもあげられず、助けを求めている人もいる。
そのような人達の気持ちを察する事のできる努力を、日々の気付きや体験から、見つけ出していきたい。
明鏡塾に通うようになり、ワークを通して日野先生、塾生の皆さんと関われる事がとても楽しく、自分にとって良い学びの場となっています。
5期 理学療法士
現在、仕事でも施術の際に目で診るを行っている。
自分がどれだけ集中が途切れているのかがよくわかる。
身体の部分を見てはいるも、診ていない。プツプツと集中が途切れているのがよくわかる。
繰り返し行っていると、集中する時間は少しずつ長くなってはきたもののまだまだ持続性に欠けている。
集中出来ているときには、触れている場所から、「次はここ」と流れるように勝手に施術がすすむ。自身の身体が勝手に流れるように動いている感覚になる。
触れている部分から、次の問題部分が勝手に情報として伝わってくる感覚になり、患者様の身体がゆるむのが早かったり、痛みが早くなくなったり、動作がスムーズになったりと変化するのがはやい。
明鏡塾で学ぶようになってから、「あなたが来るだけで身体が緩む」「先生の手や身体から何かを感じる」「わたしに真剣に向き合ってもらっている感じがする」など、そのようにおっしゃられる患者様が増えました。
2期 外科医
外来通院中の食道癌術後の方と少し話をする機会があった。
その方は、手術をした時のがんの状況はかなり悪いもので、5年後の生存率は10%台と言われたそうだ。
しかし、その方は「ふざけんな、その10%には絶対に入らない。世界の小沢さんも頑張っているんだ、負けられない」
そう思ったそうだ。
そして、食道がんの手術を受けた。
術後、退院前に鏡で自分の痩せ細った体をみて愕然としたそうだ。
この時も、「ふざけんな」と思い、トレーニングを開始した。
私がお会いしたのは術後1年後であったが、筋骨隆々としていた。
とても食道癌術後とは思えない体つきで、片手懸垂が10回できるまで回復したと言っていた。
「負けらんないですよ。趣味のゴルフもしたいしね。」
そう笑いながら私に言ってくれた。
病になり、特にがんと診断された大抵の人は気持ちが沈んでしまう。
でも、この方のように、気持ちが負けない方は、信じられないような回復を見せることがある。
明鏡塾で学び、その学びを現場で還元していくという事は、このような人を増やすことだと思う。
病になったとしても、その不安定な気持ちを落ち着け、安心させ、前が向けるように、ちゃんと関わる。
私の中で漠然として、言葉にできなかった部分。
それは、明鏡塾が医者にとってどのように役に立つか。
漠然としたものはあったが、なかなか言語化できなかった。
今回、患者さんの生き様から、医者が明鏡塾に参加する意味を教えて貰えた。
5期 理学療法士
3回目の明鏡塾のあとの臨床で驚きがあった。
重度の右片麻痺の患者さん(肘の曲げ伸ばし、手のグーパーはできない。)の手の治療をしていたときのことだ。
ワークで行った筋を触れるを応用して、硬くなってしまった関節や、関節の中、皮膚、筋肉、それぞれに集中し丁寧に触れて治療をした。
するといつもよりはるかに腕が動き、自分も患者さんも驚き喜んだ。
理学療法のセオリーでは、肘を動かしたい場合、肘の運動を数多く反復し、刺激を多くいれ脳の神経回路に変化を与えるというものが治療として代表的である。
しかし自分が行ったのはあくまで手と指に対し、それらを丁寧に触れ、少しだけ一緒に動かしただけであった。
それなのに、肘や腕が動き始めたのである。
なぜそうなったのかは説 明できないが関係性が持つ底知れぬ力を、垣間見た瞬間であった。
今の自分には関係する力も治療の腕も本当に未熟であるが、いつでもこのようなことが当たり前にできるように、明鏡塾で教わったことをしっかり患者さんに還元できるようにしたい。
「 もうひとつ臨床で」
右片麻痺、失語症の方でも驚くことがあった。
この方はこちらが話す言葉は聴覚として理解できるが、本人が話すときには、意味のある言葉がでにくい症状の方だ。
一般的には運動性失語と呼ばれるものだ。
その治療介入の時に、趣味や好きだったことはなにかを尋ねると「あのー、ほら、ばーでほら、うーん、みんなでサバイバルの、うーん、ほらやるじゃん」という返答であった。
そのとき、自分にはなぜか「ゴルフ」と聞こえ、ゴルフですかと聞いたら、「それそれ」とお互い大喜びであった。
明鏡塾に来る前の自分であったら、「サバイバル」という言葉に惑わされ、ゴルフという答えにたどり着くことはできなかったように思う。
表面上の音としての言葉ではなく、その言葉に乗せた患者さんが本当に伝えたい思いを感じようとした結果であったと思う。
言葉が意味のあるものではなくとも、何を言いたいのか感じられる力が本当は人間には備わっているのかもしれない。
明鏡塾は目に見えない、触ること もできない、でも確かに存在する大切なものを、様々なワークと参加者の熱意で具体にする場であると思った。
それらは座学で学ぶことはできず、参加者が関係することに没頭していくことで、あとからそれぞれの現場でその意味を噛みしめるという不思議な塾だ。
その場にいる自分は、みんなと切磋琢磨できる自分でいられるのか、常に自分に問い続け行動をしてきたい。
5期 看護師
去年一般病棟で出会った60代男性は、ずっと抗がん剤治療をしてきて先月BSC(best suportive care)へ移行となった。
今年に入ってからは酸素吸入しながら、入院中は、ロビーで仲間と過ごしていて私がチームのラウンドで会うと話ができるときは話すが、話すことが難しいときはお互い微笑んで敬礼のポーズをとるか握手をしたりしていた。
今月に入って呼吸苦が増悪し緊急入院してきた。
彼が一般病棟から緩和ケア病棟に移動した日、一般病棟のスタッフが「木村さん、○○さんがPCUに今日行きました。木村さん、木村さんって言っていたから会いに行ってあげてください」と言われ、夜7時半ころにお伺いした。
私が部屋に入って「○○さん」といつものように声をかけ、いつものように笑顔で会う。
そうしたら彼がいつものように笑顔で「あ、あ!木村さん。なんだよ~びっくりしたなぁ」と。
側にいた奥さんが「なんだぁ、その笑顔。ずーっと苦しそうにして頭ももたげてたのに。そんな笑顔~うれしいんだなあ~」と奥さんも本人のいつもの笑顔を見て喜んでいた。
その笑顔が患者の人生最後の笑顔になって、家族の記憶の中にもとどまることとなった。
微笑まれたものを豊かにしながらも、微笑んだものは何も失わない
笑顔は、瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる
買うこともできないもの 頼んでも得られないもの
借りられもしないかわりに 盗まれもしないもの
そんな詩の一節を体感させていただいた、とても貴重な瞬間だった。
「いつものように」と「笑顔」がもたらす輝かしいひとときは、お金では買うことのできない非常な価値をもつことがある。
どんな厳しい状況にあっても、人は関係性によって笑顔になれることがある。
そんなことを改めて私に教えてくれた彼をその家族に心から感謝するとともに、これからの自分のやるべきことに確信をもつことができた。
そして次の日、私が夕方伺ったとき、奥さんと息子さんが一緒にいたが、呼吸がもう息を引き取る前の呼吸だった。
とっさに奥さんにそばにきてと椅子をベッドサイドに置き奥さんをベッドサイドに座ってもらい、患者の手を握って、昨日の笑顔のことや「今日は夜一緒だからな。寂しくないよ」と声を話していたら、呼吸がまた規則的になる。
それから少ししてまた呼吸が変わって、私たちが話している間に静に息を引き取った。
そこにいた奥さんや息子さんはそれに気づかず、それからもしばらく話をつづけた。
一区切りしたところで、私が息を引き取ったことを伝えた。
そうしたら奥さんも最初びっくりしていたが「安心したんだな。静かになって寝たのかと思ったよ。苦しまなくてよかった。」と涙を流しながらしばらく時間をともに過ごした。
その前日、寂しいから苦しいから早く来い!と奥さんに電話した患者さんが、最後は奥さんに手を握られながら息を引き取った。
奥さんが手を握って話し始めたら、本人の呼吸が変化した様子には私もとてもびっくりした。
関係性によってこんなにも状況は変化する、ということを身をもって教えてくれた。
5期 理学療法士
明鏡塾で学ばせていただく中で一時「知識や技術は必要なのか」考えてしまう自分がいた。
それは、整体やカイロプラクティックなどの技術を知らない日野先生が、重篤な方や重症なねん挫を診られ治されてしまう事から、そのような事を考えていたのである。
しかしこれは大きな間違いなのである。
日野先生は確固たる技術を持たれている、それは武道という根幹からというものがそうである。
そして私は「知識や技術は必要なのか」を考えるのではなく「自分の未熟な知識や技術はどうなのか」を考えるべきなのである。
ただ、この思い違いもある意味良い材料と思えるのです。
つまり、日野先生は整体などの技術を持たれていないから、知識や技術を必要としないと考えていた自分と、結局は未熟な知識と技術に目を向けた自分の違いを、比較することが出来るからだと思うのです。
それは単純に過去の自分を反省という、意味のない行為をするのではなく、その時の意識の状態や物事への観方、感じ方がどうだったのかを今の自分と比較し、自分の意識、感情に対して向き合えることが大切だと思えるのです。
何故なら過去も今も自分なんですから。
だからこそ最高の自分に向かって進めると思います。
5期 整体師
今日、久しぶりに来られた患者さんと施術後次のような会話をしました。
「先生、なにか変わりました?」「どういうことですが?」「手が違うの。先生の手は前から暖かくて気持ちが良い手だったんだけど、それだけではないの」
「??」「優しくなったの」
この言葉はとても嬉しかった。
思わず叫びそうになった。
私は優しくしようとしていたわけではない。
又技術そのものが上達したわけではない。
それでは何が変化したのだろうか?
日野先生が教えて下さる「目的を持って触れる」「今は何をしているのかを明確にする」これからを明鏡塾の塾生の方々と一緒に取り組んできた中で私の中で変化をしているに間違いない。
だからこそ、患者さんは違和感なく「優しくなった」という言葉を漏らしたのだと思えるのです。
過去も今もすべてが自分である。
ただそれに気づくには一人では無理である。
同じ志を持った仲間がいるから気づけるのである。
今日は「明鏡塾」という存在を、改めて患者さんより教えて頂きました。
これからも頑張ります。
4期 理学療法士
今日、60代の右肩の痛み・右足に痺れ・痛みのある患者さんの初回のリハビリだった。
突然、右足が痛み始めたらしく、立ち上がりの時にとても痛そうだった。
そして、右肩は半年前から痛かったらしく、90度くらいしか挙がらない。
受傷機転が不明瞭であるために患者さん自身が不安そうであった。
色々とお話と初回の説明をさせていただきこれから始めようとしたときに「これは治るんですか?」と聞かれた。
即答で「治りますよ。」と答えた。
あまりにも自然に自分が答えたので自分でもびっくりしていたが、患者さんは少し安心していた。
その後も患者さんの話しを聴き、相手の質問にしっかり答えた。
治療においては思ったよりスムーズにいき、右肩は最終的左肩と同等くらいに挙がるようになった。
右足の痛みが完全ではないが軽減し、最後、立ち上がったときには痛みがなく驚いてくれた。
最後も患者さんが「また来ます。」と声をかけてくれた。
あの即答の「治りますよ。」が全てだったかもしれない。
このように自然と言葉が出るためにも日々訓練だなと思う。