どうして人はペットを飼うのか

日曜日は「東京・明鏡塾」7期5回目の講座だった。 7期も残すところ12月1回のみだ。 今期は、特に再受講の人達の成長が目立ち、初受講の人の影が少し薄かった。 とはいうものの、先輩達と自分達初受講とは実力が明らかに違うという事を体感していた。 つまり、自分自身の伸び白が限りなくあるという事だ。 実力差は何から見えるのかというと、それは顔付き、特に目付きだ。 自己を確立してくるので、クリアで活き活きとした目になる。 俗にいう、輝く目である。 そのことは、患者さん利用者さんに、大きく影響を与える。 患者さんや利用者さんは、間違いなく安心するのだ。 それは、回復や改善の大きな力になる。 患者さん、利用者さんと真正面から向き合う。 「正面から」といった時に「怖い・威圧感がある」という印象があるかもしれない。 それは、真正面から物事と対峙していない人の印象だ。 では、お年寄りや若くてもペットを飼っている人は沢山いるだろう。 それは一般的に「癒される」という印象がある。 その通りだ。 「癒される」のだ。 そのペット達、例えば犬、例えば猫、これらの動物は、例外なく飼い主とアイコンタクトを取っている。 ペットは真正面から向かい合ってくるのだ。 だから、飼い主は「安心」を得て「癒される」のだ。 ここが患者さん利用者さんに関わる人にとって、一番大事なところである。 もちろん、人そのものにとっても一番大事なところだ。 その「真正面から」が徐々に出来るようになっているのだ。 新しい技術も大事だろう。 しかし、根本的に自分自身が物事と真正面から対峙出来ることの方が大事だ。

患者さんの話を聴けるようになった

昨日の「大阪・明鏡塾」は、一歩抜け出した初参加の柔整師が出た。 これは、ある意味であり得ないことだ。 彼は、2期1回しか講座を受けていないのだ。 再受講の末に、ではなく、1回受けただけだ。 つまり、宿題も含めて、ワークでやった事を全部患者さんに試していったのだろうとしか言いようがない。 「明鏡塾」で展開しているワークは「出来る」を目指しているのではない。 だから、方法を並べてはいない。 自分の力を出す、自分が本当に物事に向かう姿勢を出す、という、自分への追い込みが基本になっているからだ。 自分を追い込む方法はない。 どんな目的を持ち、それが本気かどうか、唯一それだけだ。 そこだけを言えば、現代人のもっとも苦手なことだ。 目先の方法を短時間で教えて貰い、それで満足したり、それを沢山手に入れる、それが風潮だからである。 その波に押し流されている殆どの人達の中で、「それは違うだろう」と感じている、あるいは、本気で患者さんや利用者さんを楽にして上げたいと思う人しか受講しない「明鏡塾」だ。 つまり、巷にはないワークで、いきなり「自分自身に大手をかけ、それを実行した」結果、完全に「先ほどまでの自分」を超えてしまったのだ。 懇親会で、先輩も含め彼に質問がとんだ。 「〇〇さん、何をどうしたのか?」だ。 彼曰く「とにかく、聴くを徹底しました」だから、皆にはヒントにならないので大笑い。 そう、「明鏡塾」のワークにヒントとはない。 それは、「そのもの」だからであり、例えば自分自身が本気で「聴きたい・聴いてやろう」にならなければ、そうはならないのだ。 当たり前のことだ。

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