自分や家族が倒れた時、ここに居る先生方に診て貰いたい

「もし自分や自分の家族が病気や怪我になった時に、ここに居る先生方に診て貰いたいなぁと思いました。」 これは、「東京・明鏡塾」8期、初受講の柔整師の感想の一部だ。 そして、自分自身が治療家だからこその言葉だ。 初受講で、再受講の人達の集中力、テーマに向き合う姿勢に感動して書いた感想だ。 前7期の受講生達は、全員今期に再受講している。 それは、覚えられなかったワークがあるから、出来なかったワークがあるからではない。 例えば、5,6,7,8期と受講している年配の歯科医師は 「最初の体験セミナーで、理由は分からないものの、今学ばなければいけないと思った理由が、体を通じて少しづつはっきりしてきました。セミナーまでは「何かを加える事」のために生きてきました。今もその部分を求めない訳ではありませんが、知識や経験、そして持ち物からお金、また毎年増える年齢。それ等がすべてだと思っていました。その認識を削ぎ落としてきたのが、明鏡塾の場でした。」 と綴られておられる。 まさに削ぎ落す場なのだ。 だから、出来る出来ないという小手先のものではないにもかかわらず、受講した明くる日から臨床に変化が起こるのだ。 何故か。 自分自身が問題意識を持ち、集中された空間を体感しているからである。 理屈よりも体感が重要なのだ。

「触れる」という行為はこころと繋がっている

今年の1月も仕事はフランスから始まった。 パリで待っていてくれたのは、ヨーロッパをはじめ世界で活躍する音楽家だ。 オペラ座の近くのレストランで、食事を取りながらの話がお祖母さんのことだった。 その女性からメールを貰っていたので、抜粋して紹介する。 ::::::::::: ただ、日野先生に私はとにかくお礼を言わなければなりません! やせ細った祖母は、病室内の乾燥で、彼女の肌もとても弱っていました。 植物性のオイルでケアをしてあげようと思い、いざ彼女の手や足に触る時に、相手に触れるということにとても気を使いました。 以前先生に、どのように触れるか、というお話をしていただいた際に、『こうやって触れて行くんやで』と私の手を握ってくださった感覚を思い出しながら、オイルを伸ばして行くと、なんだか泣けてきて、感謝でいっぱいになりました。 『触れる』ということがちゃんとできていたとは到底思えませんが、彼女がとっても気持ち良さそうに、自分に任せてくれている表情を見て、号泣しそうで溜まりませんでした。 相手に触れるということは、自分を開放するというか、心を開いて行くことと同じなのかと感想を持ちます。 臨終の身にあるにも関わらず、こんな幸せな気持ちが目の間にあるなんて、私はきっと沢山の幸せや感動を見過ごしていたんじゃないかと、そんなことを思いました。 それもこれも、日野先生が『相手にふれる』という行為を、ここまで取り上げてお話くださったおかげだと思います。 心から感謝します。 ::::::::: 昨年、この女性と会った時、「触れる」ということについて話をした。 その大前提にあるのは「人に」ということ

前7期の人の成長

東京8期が始まった。 今日はその1回目だった。 初受講の人より、圧倒的に再受講の人達が多い。 それだけ突っ込んで成長したい、あるいは、患者さんの本当の笑顔が見たい、そんな人達ばかりだ。 それぞれに、職場という現場で、驚く程の成果を出していることも、「もっと、もっと」の動機だ。 今日、開けて驚いたのが、7期の人達の成長だ。 グンと伸びる期と、そうでもない期があるのが面白い。 何時も書いているように、「明鏡塾」では治療や施術の技術を教えているのではない。 それを支える「感覚」や患者さんとの関係を教えている。 この根本的なところを外して、治療も施術もない。 医療従事者が相手にしているのは、間違いなく「人」だ。 大方の人は当たり前過ぎで、それを問題にすることもない。 だから、無頓着に、不用意に患者さんの落ち込む事を平気で言うのだ。 前7期の受講生は全員再受講してきている。 看護師や介護士の人達もそこにいる。 その人達も、自分で驚くような成果を出している。 成果=患者さんの笑顔だ。 再受講の人が多いということは、それだけ高度な中身を持つということでもある。 現場の中での気付きや発見が、「明鏡塾」のワークの延長だと、それも気付いている。 お金を儲けたいという人は、そんなセミナーに行くのが良い。 即席のセミナー講師になりたい人も、そんなセミナーに行くのが良い。 そういった人達には、完全に不向きなセミナーだからだ。 そして、そういった人達が混じると、ワークの質が落ちてしまうし、「明鏡塾」の質も落ちてしまうので、こちらからお断りする。

自分のレベルに気付くと

しかし、当たり前ですが、未熟な部分が多く、そこに直面すると嫌な時もありますが、自分の道を進めるよう精進して生きていきたいと思います。 理学療法士としてもそうですが、人として、父として、明鏡塾に出会わなければ、大切なことを見失ったまま過ごしてきたと思います。

「触れる」ということから

相手に触れるということは、自分を開放するというか、心を開いて行くことと同じなのかと感想を持ちます。 臨終の身にあるにも関わらず、こんな幸せな気持ちが目の間にあるなんて、私はきっと沢山の幸せや感動を見過ごしていたんじゃないかと、そんなことを思いました。

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