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「触れる」という行為はこころと繋がっている

今年の1月も仕事はフランスから始まった。

パリで待っていてくれたのは、ヨーロッパをはじめ世界で活躍する音楽家だ。

オペラ座の近くのレストランで、食事を取りながらの話がお祖母さんのことだった。

その女性からメールを貰っていたので、抜粋して紹介する。

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ただ、日野先生に私はとにかくお礼を言わなければなりません!

やせ細った祖母は、病室内の乾燥で、彼女の肌もとても弱っていました。

植物性のオイルでケアをしてあげようと思い、いざ彼女の手や足に触る時に、相手に触れるということにとても気を使いました。

以前先生に、どのように触れるか、というお話をしていただいた際に、『こうやって触れて行くんやで』と私の手を握ってくださった感覚を思い出しながら、オイルを伸ばして行くと、なんだか泣けてきて、感謝でいっぱいになりました。

『触れる』ということがちゃんとできていたとは到底思えませんが、彼女がとっても気持ち良さそうに、自分に任せてくれている表情を見て、号泣しそうで溜まりませんでした。

相手に触れるということは、自分を開放するというか、心を開いて行くことと同じなのかと感想を持ちます。

臨終の身にあるにも関わらず、こんな幸せな気持ちが目の間にあるなんて、私はきっと沢山の幸せや感動を見過ごしていたんじゃないかと、そんなことを思いました。

それもこれも、日野先生が『相手にふれる』という行為を、ここまで取り上げてお話くださったおかげだと思います。

心から感謝します。

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昨年、この女性と会った時、「触れる」ということについて話をした。

その大前提にあるのは「人に」ということで、絶対に違和感を与える触れ方をしてはいけないということだ。

つまり、自分勝手には触れるな、だ。

そこを、実際に体感してもらった。

それが彼女にはずっと残っていたのだ。

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