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認知症だから、という対応は逆効果

「明鏡塾」では「触れる」がメインだが、その側面に「聴く・伝える」がある。

「聴く」というのは、ドッカと腰を据え聞こえてくる声や音を耳にすることではない。

それは、ただの受け身の状態であり、武道で言えば「死に体(しにたい)」である。

「聴く」とは、こちらから相手からの情報を取りに行くことだ。

しかも全身全霊で。

そういった稽古からの報告がありました。

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患者さんで「聴く」 が活きた症例を報告します。

最近担当になった患者さん(小脳出血、両側前頭葉の梗塞)で明鏡塾の「聴く」が良い変化を生みました。

この患者さんは、運動機能としては比較的保たれているものの、軽度の認知症と前頭葉症状(性格の変化、状況把握の障害、理性が働きにくい) が あり、夕方に近づくにつれ暴力的となっていた。

その対処として強めの精神系の薬を服用されぼーっとしていることが多く、さらに体を拘束されていた。

この方は私の最初の介入から既に怒っており、会話はおろか一緒にいることもできない状態であった。

まず最初に整容をし爪を切り、ご家族に本人の好きだった紅茶を用意してもらい、とにかく安らぐよう対応した。

3日間ほど行い徐々に穏やかな時間が増えリハビリが少しずつできるようになってきた。

昨日のリハビリは昼食後で、すでに車椅子の上で寝ており寝言を言いながら怒っていた。

その内容としては「病院は人を待たせてどうなっているんだ。はやくしてくれよ。だからだめなんだ。」

私はそれを見て、とにかくベッドに横にさせてあげたいと思い、リハビリではなくベッドで寝ることを選択した。

ベッドに横になってもまだ本人は怒っており、私は手や首の後ろ、肩などを触れながらずっとその話を聴いていた。

とにかく怒っており、その言葉も状況とは離れたことを言っていたが、私はずっとその怒りを味わうように、どのくらい辛いことなのかを感じていた。

私が発した言葉は「うん」という 言葉にならない相槌だけであった。

それを1時間行い、夕方にもう一度リハビリを行うために(この日は2回リハビリができた)部屋を訪れると笑顔になっており、とても穏やかにリハビリができた。

その後、夜に不穏になることはたまにあっても、日中は穏やかな時間を過ごせている。

怒っているから、認知症だからといって説得や、なだめることはしてはいけない。

表面上の言葉だけを聞いて対応してはいけない。

そのことを改めて思った。

患者さんの方が上っ面の対応なのかを敏感に感じ取っているし、この方の怒りのなかにも、医療者の心のない対応のことも含まれていた。

体が弱っていく中で、人に雑に扱われてしまう苦しさや孤独感を患者さんは怒るという形で表現しているのかもしれない。

前頭葉に障害があれば治らないという医療者の考えや、暴れているから対応が面倒だという病院側の行動が、このような患者さんを作り出している。

人としてできる精一杯の対応を、そしてとにかく寄り添って聴くという行動をしたことで、この患者さんは回復をしてきている。

医療的な技術が人を回復させるのではなく、関係が人を回復へと導いている。

改めて関係の重要性を感じた日であった。

最近になり治療が「治す」から「治る」へ変わり、その行動をとり続けた中で、私1人の力は本当に小さいことが分かってきました。

治るを目指すのであれば、患者さんに関係する人、すべての関わりが温かいものでなければなりません。

医師、看護師や同職である療法士、それから掃除の業者の方まで全てです。

とにかく今は腕を磨きながら、沢山の職員と会話をし、少しでも患者さんに丁寧に関わってもらえるように行動をしています。

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