やる事が山積だが
「明鏡塾」で指導している事の中で重要な要素として「流れに乗る」がある。
馴染みのない人には「何のこっちゃ?」だろうと思う。
「流れ」には、治療の流れや、会話の流れ、場の流れ等々、そして、患者さんそのものの流れ、これは呼吸や鼓動だと考えても大丈夫だ。
但し、余り固執せずにだ。
そして患者さんとの「距離感」と「入り身」がある。
入り身は、文字通りある特定の距離から、患者さんの内に入る事だ。
これが出来ないと、患者さんと密な会話や深い共鳴を分かち合う事はできない。
大阪10期4講座目が終わってから送られてきたレポートに、この事に触れているものがあったので紹介する。
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「相手の間合いに違和感なく入る」
患者さんとの違和感のない立ち位置、これも一緒のように感じています。
入口が大事であり、患者さんを出迎えるところ、玄関からすでに始っている。
玄関の前から始まっているかもしれない。
患者さんの車が駐車場に止まる。
車のドアを開けて、閉める音がする。
視覚的には見えないが、患者さんが、玄関に来るのを感じる。
その後、玄関に患者さんが来る。
入口で出迎える、視線で患者さんに触れる。
わたしは、自然と言葉を発し、目で聴いている。
「○○さんこんにちは!今日はどうしたんですか?」
「足のガングリオンとってもらってんけど、痛みとれへんから来てん。」
「とってもらった箇所の傷が痛いんとちゃうんですか?どっちの足ですか?」
「傷の痛みは全くないねん。左足の腫れてるところが痛いねん。」
≪わたしは、会話の流れを途切れさせないように、自然と息を吸い込んでいた。》
◎この文章を書きながら、いつもやっている流れを感じる稽古が、まさにこの時に生きていることに気づく。
日野先生はすごい。
様々な稽古が色んな所に生きてくる。
『無意識で流れにのって息を吸い込む自分がいる。』
「OK!左足ですね。」
私は、玄関の椅子に座っている患者さんに、近づいた。
左足のぽっこり腫れた炎症のある個所に、いつものように、左手を当てにいっている。
「これで炎症とったら大丈夫ですよ。」
「左足がビリビリしてんねんけど。」
「大丈夫ですよ。もうちょっとで、なくなりますから。」
二・三分後
「今どうですか?」
「ビリビリも痛みも無くなったで。不思議やな。」
「そうですね。良かったですね。笑」
判断もなしに自然とそうしていた自分がいました。
気づいたら患者さんの傍にいました。
一番違和感なく立てる位置はどこかな~と考えてやっているのではなく、気づいたらそこにいる。
人によって、状況によって、相手との関係によって、その立ち位置は違ってくる事に気づきました。
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このレポートの主は中堅の柔道整復師だ。
彼が書いているように、「明鏡塾」では治療の方法ではなく、患者さんとの関係を教えている。
もちろん、その中に「患者さんに触れる」があり、それは施術家や医師・看護師・理学療法士他療法士や柔道整復師・鍼灸師・整体師達の「施術」そのものと関係する。
その意味で、「手」を繊細に働くようにトレーニングを行う。
「手」の送受信能力を高めるものだ。
それは患者さんとの「関係」と直接関わるものだし、「施術」そのものだからだ。
そこでの最重要ポイントは、患者さんに「違和感を与えない」為のものだ。
これを読む皆さんは施術家だからご存じだろう。
病気や故障の大敵は「違和感」だ。
違和感は患者さんを緊張状態にさせるものだからだ。
つまり、医療従事者は絶対に患者さんに「違和感」を与えてはいけないのだ。
そこを徹底する為の「手」であり「触れる」なのだ。
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