仕事の出来る「手」
大阪「明鏡塾」の懇親会が盛り上がった。
若い柔整師が「先生の手を仕事をする人の手ですね、それに比べたら僕の手は何と貧弱なことか、と思いました」と、手談義になった。
「当たり前やんけ」と返すが、手を改めて振り返ったことがない。
で、辿って行くと、子供の頃の遊びは、手を使うか身体全体を使うものだけだった事。
コマ回しや釘さし、ビー玉にめんこ等々だ。
これらは手が主体で全身を使う、全身を使わなければ精度が落ちるのだ。
器械体操にバーテンダー、そしてジャズドラマーに武道。
どれも「手の働き」が勝負だ。
思い出せば、「明鏡塾」を起ち上げた時、受講する人の手の貧弱さに驚き「その手で人を触るのか」と愕然としたのを覚えている。
手は脳の出先機関だし、対象の人や物との関係の為の最前線でもある。
医療従事者は、そんなことを自覚しているのか?と疑問に思ったものだ。
自分の手を見て「気持ち悪い」と感じないのだろうか。
とも思ったものだ。
「先生の手は大きいですよね」
「アホか、華奢な手やろ」
「それはないわ!」で大爆笑。
それから手の大きさ比べになった。
「ほら、思っているより小さいやろ」
「ほんまですね」
手が働いているからだ。
つまり、手に意識が集まり手の目的を果たそうとしているからだ。
自分の手に対して違和感を持つ。
これも上達の為に必要な問題意識でもあるのだ。

その事が患者さんや利用者の方々を「安心」へと導く一歩でもある。