2020感想文から

昨年から、今年は海外を休んで、国内の仕事を充実させようと思っていた。

その矢先武漢コロナウイルス騒ぎになり、タイミングが良かったのか何なのかと思っています。

受講者の感想を一つずつ整理していこうと思っていましたが、それも時間がかかるので

最近の東京と大阪、両方の感想文を抜粋して掲載します。

「明鏡塾」の講座で指導していること、講座でどんなことをしているのか。受講者の皆さんの感想文から推理してみてください。

どこにでもあるような内容の感想は見当たらないと思います。

それは、「その人」を成長させることが目的でスキルを習う事が目的ではないからです。

現在、内科医、歯科医、看護師、理学療法士、柔整師、鍼灸師、介護士、整体師の皆さんが受講されています。

年齢もバラバラで、大阪・明鏡塾の方が平均年齢は高いです。

痛みとは実際の刺激そのものではなく、先入観など自分で創り出している曖昧なものであるということを実感できた。自分の創った曖昧な痛みに対して、自分の身体がこわ張るという、いわゆる反射のようなことが起きているのではないか。

そして刺激そのものを捉えると曖昧さが無くなり、不必要に反射することも無くなるのではないか。

ということを直感的に想った。その時は上手く言語化できずプレゼンすることもできなかったが、先入観や曖昧さに自分の身体が反射して、それこそが違和感なのだと実感した。

日野先生から、「日常の手のままで触れている」とのご指摘を頂いた。これまでも同様の指摘を受け、手を覚醒させるためのワークをしたりしたが、自分で自分の手が覚醒しているのか、寝ボケているのかを全く見極められていなかったことがハッキリした。

言語化してみると、結局常々日野先生がおっしゃっていることだと今気付いた。

そして今更という思いと、やっと明鏡塾の入り口に立てた気がする訳だが、よくよく考えるとこの入り口に立てた感は今まで何度も味わった。

その都度その前は本当の入り口ではなかったと感じる。

では何だったのか、今思えばそれはさながら、本殿に続く長~い参道の途中の無数の鳥居のような感じだろうか。

次も絶対に鳥居をくぐりたい。

手本をまねるにしても、言葉で場所を認識したり、動作を表現してしまうと、自分なりの場所を自分なりの動作ですることになり、手本と似ても似つかぬ動きになる。

一念をもって対象に向かい、感じた感覚を繊細に受け止め、動く。

そして自分の動きの癖を動画などで把握し、手本とどう違うか見つけ、修正していく。そんなことが大事だと学んだ。

日ごろ感じる体の不調に関しても、例えば目が痛い、肩がこる、だるい、お腹がはる、など言葉でレッテルをはってしまうと、思いの世界に入って苦しむことになる。

今、自分の体の「ここ」が「こんな感じ」だ、と感じだけに集中すると、感じがどんどん変化し、やがて気にならなくなってしまう。

大脳を極力働かせないように、なるべくアホな状態で、感覚の世界で感じ、動いてくのが大事だ。

「思いわずらう」とはよく言ったもので、みんな大なり小なり、思い患っているのだ。

日野先生の手本と、皆がしている動作があまりに違うので、スマホで動画を撮って各自確認した。

各自はそれぞれ自分なりのさする動作になっており、日野先生の手本通りの動き、意識の流れでない。

言葉で「肩」「腕」を「さする」「持ち上げる」「手を腕に添える」「持ち上げる」と受け止めてしまうと、それぞれの今までの経験、言葉による認識の中での、各自なりの場所での動きになる。

手本をまねる、とは、日野先生が相手に働きかけた「そこ」を「その動きで」「その意識状態で」動かすことだ。

日野先生に実際にしてもらうと、実に繊細に動かされ、意識を途切れさせることなく、骨や体が動かされ、すんなりと起きてしまった。

肘あたりでも手の動作は一瞬止まったように見えても、意識は途切れることなく肘を丁寧に回外させるよう動いており、体の中に働きかけられているように感じた。

それに比べると自分は、自分なりの動作、うまくやっているつもりの相手を無視した自分勝手な動作になっていた。

自分にとって、本気で人と治療に向き合える場があることがとてもありがたいことだと思っています。

そして、自分が日頃、職場や利用者さんに対して、やっていることがどうなのかを検証する場として、また、はっきりとそのことに対してどうだったのかを返してもらえる場として、貴重な場となっています。

自分がやっていると思っている事と、相手が感じている事、外から見ている人の感じている事全然違っていました。

写真を撮って確認するとこんなに引けているのかとビックリしました。

それがおそらく実際の診療の場でも出てしまっているのかと思いました。 こういう場がないと全くわからないですし、こういう稽古の重要性を感じました。

その後引かないように、これでもかと思ってやり、少しマシになったと言われ、実際と自分の感覚の差がこんなにもあるのかと実感させられました。

自分の姿を動画や写真で見ることで、想像との大きな違い、こんな人嫌だなぁと思う人に自分がなっている!という事実を見せられたこと、そして、自分のこれまでの生き様をもそこに見て感じとれ、これは相当のショックでした。

一晩明け、これに今気づけて本当によかったと思っています。

変な気遣いをやめて公平に率直に知らせてくれる場はそうそうありませんし、そう思うと、明鏡塾は私にとって大変に貴重な機会であると、改めて思いました。

見て聞いて体験をすることで、反省をし、良くしたいと思えたこと、そのために具体的に訓練・練習ができる場に出会えたことが、有難く救われた思いです。

また、感想文を書いたことで、昨日のワークについて深く振り返り、その場では気づけなかった大事な部分に気づくことができました。ありがとうございました。

自分が生きていく中で、関係が大事であることを日々、感じていると同時に、「関係」や「相手に」ということを前提に置いて自分自身を見つめてみると、色々な課題が見えてきます。その課題に取り組んでいく中で、自分の問題が見えてくる。

そんな自分を成長させるとはどういうことなのかの一端も見えてきたように思います。

そして、今までおぼろげであった、「治療とはなんなのか?」「治るとはなんなのか?」というのを今まで以上に考えるようになってきました。

自分が関わることで、少しでも目の前の方を、その方に関わる方々も、笑顔で、元気になってもらえるサポートができる自分になりたいと思います。

そのためにも、今期も明鏡塾で学ばせて頂ければと思います。

仕事においては、入れ歯の調整をする時に、入れ歯に触れながら患者さんにカチカチ噛んでいただき、触れている点から全体の状態を感じ取ることが、ある程度できるようになり、以前よりスムーズに修正できるようになりましたが、どうしても思い通りにいかないケースがあり、いまだ試行錯誤しています。

ただし原因となっている部分はだいたい分かるようになって来たので、あとはどう直すかを工夫しながら治療しています。

先日もお話ししましたが、「点から面へ」という言葉を意識して触れるようになって以来、それ以前にだいたいここだろうと思って調整していた所が、より明確に分かるようになってきました。

この部分を一層深めていこうと思っています。

お口のケアについて毎日同じように話している中で、以前と比べて前向きに実行してくれる方が増えてきました。

それがここ一年くらい前から少しづつではありますが患者数が増えていることに繋がっていると思います。

また、患者さんの自己管理が良くなるにつれ、歯周病の治りも良くなり、スタッフのモチベーションも上がってきて、いろんな面で良い方に転化してきています。

明鏡塾が始まってからの半年は本当にあっという間でした。

臨床の現場の方は、「足が軽くなって歩きやすくなった」「凄く緩んで楽になった」等言われることが増えてきて、骨折後のリハビリの患者さんに「先生、今、何したの!?」と笑って驚かれたこともありました。

また担当の患者さんに、ふと「前にも増して構え無くなったからみんな凄く話しやすそうだわねぇ。」と言われ、自分ではそういう意識がなかったので驚きました。

最初は本当にわけが分からず取り組んでいましたが、同じようなワークでも、やる度に発見があり、そこからまた課題や考えることが増えています。

これらの課題に取り組み日々の臨床でもっと効果が出るようにがんばります。

肘と肩のワークの感覚が鮮明にあって、翌日から患者さんを触る手が少し変わった実感がありました。

膀胱留置カテーテルの入ってる患者さんが、強い尿意を感じてつらいと訴えがありました。お腹を見てみると恥骨のうえの方が薄っすら、いびつに膨らんでいました。

触ってみてゆっくりおすと、尿がカテーテル内で流れ出して、だしきると膨らみが消えました。患者さんは尿意が収まりすっきりしたと話されました。

今までの自分であれば、管が入ってるから尿は出るはずだという思いこみからおしっこは自然に流れるようになってますよという説明だけで終わっていたか、もしお腹の張りに気づいてもお腹を強くおすだけで流れだすところまで行かなかったと思います。

先日、化膿性膝関節炎の患者さんの膝を左手で触った時に、触った直後「とても柔らかくて気持ちいい手だわ」と言っていただきました。

手を心地よいといっていただいたのは初めてでした。

毎回その時のような患者さんからの反応になるよう全力を注いでいきたいです。

自分にとって、本気で人と治療に向き合える場があることがとてもありがたいことだと思っています。

そして、自分が日頃、職場や利用者さんに対して、やっていることがどうなのかを検証する場として、また、はっきりとそのことに対してどうだったのかを返してもらえる場として、貴重な場となっています。

明鏡塾のワークは無意識下の訓練であるせいか、最近診察室などで会話する上で「目で聴く」も、そう言われれば無意識的にしているなあ、と思った。

患者さんとの会話の流れは明鏡塾参加前と比べると明らかに良くなっており診察時間も短縮しており、衝突することも減った。

またレセコン仕事などで患者さんをおろそかにして会話の受け答えをしたりしていると、相手が無意識下で「がーん、話を聞いてくれてないわ」といった感じで衝撃を受けているのが感じられるようになった。

前回の続きで手先から指を広げるように違和感なく「背中を触れる」をした後、今回は「肋骨から背中の皮膚までの背部の肉厚を手で感じるように」という指示があった。手の感覚にまかせる、手の感覚に脳や身体をゆだねる、動物的な本能、感覚に自動調節させる、ということがテーマになった。

日野先生が手を触れると、相手の呼吸や体動の微妙な動きがそっくりそのまま、日野先生の手を通して腕や身体に伝わって、同調して動いているのが見えた。

大脳の命令で身体を動かすのではなく、手の感覚がそのまま日野先生の身体や脳を動かしているようだった。

人は大脳主体で認識、行動する。

大脳が発達したが故に万物の霊長とうぬぼれるようにさえなった。

しかし大脳主体だと生命としては致命的に弱い。

明鏡塾のおかげでそんなことがひしひしと感じられるようになった。

手の感覚を磨く、目で聴くなどのワークで要求されるように、動物的な感覚を主に反応、行動できるようになると、生き物としてまっとうで強くなる。

さらに感情といった原始的な反応や、やりたいという原始的な欲求、熱情が非常に大事だ。

自分の動画を見て、こんなに雑なのかと笑った。~しているつもり状態の時、指摘されても実感できないということが分かった。

自分がやっていることを自分が見ていないという問題は、お手本を何度も模倣して修正しようと思う。

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