大阪明鏡塾
時間が進むごとに背中を触れるワークの場が静かになっていく。
大阪第一回で新規受講者が多い中で急速に変化していく場に非常に驚いた。
東京二期・三期を受講していたが、これほど速く場が出来上がっていくとは思わなかった。
これも新規でありながらも真摯に取り組んでいる方々や、東京明鏡塾を受講されている方々が参加して下さったおかげではないかと思う。
今回の明鏡塾では助手という立場で参加させて頂いた。
受講者が稽古をしている様子をじっくりと観ることができたのは今回が初めてである。
今までもワークの最中に他者の様子を観ることはあったが、その目的は「現在行なっているワークがどうしたらできるようになるか」という視点による観察であった。
”自分が”できるようになるためにはどうするか、といったことが主目的となっていた。
しかし、今回のように外側から観ていると曲がりなりにも”受講者が”できるようになるためにはどうするか?といった視点に変化していた。
もちろん、日野先生がいつも述べるように「できた」では意味がない。
今回の明鏡塾でも話されていたように「できない」ということが大切である。
必然的にこちら側の対応も変化してくる。
如何に形は「できた」に近づくようにしても「できない」状態を経験していくか。
人により対応は異なるし求めるレベルも変化させていく。
新規受講者、再受講者、ワークッショップなどの参加経験、ワークに対する理解度など、さじ加減一つである。
その意味で午後の最初の稽古の「両腕を持ち仰向けで寝ている人を起こす」はおもしろかった。
最初はさっそく日野先生の無茶ぶりに近いワークが始まりどうなるのかと思っている中、ヒントのない状態で全員の受けをさせてもらった。
その後に聞くと「呼吸を意識した」「背中に触れる感じを意識した」など午前中のワークの中で、それぞれが大切と思った内容を通して取り組んでいることに驚いた。
日野先生からの説明があり腕〜肩〜背中と辿っていきながら起こすという指示があった。
その後も、みなさんの受けを取らせて頂いた。
そこでもおもしろい発見があった。
当たり前であるが全員異なるのである。
結果だけを取り出せば、起きた、起きなかった、の二つだけである。
しかし、過程をみていくと三者三様やり方が異なるのである。
それぞれ、どこで行き詰まっているのかということが見えてくる。
また、人によっては自分のやっていることが分かっているのかという問題も浮かび上がる。
ここでの分かるというのは“自身の感覚を介して”のことである。
自身の手の感覚を介して相手の腕〜肩〜背中を正確に辿っているかである。
それが意識されていなければ、いくら他者からのアドバイスがあっても修正が難しい。
同じことを繰り返すことになる。
そして、そのことには自身の感覚でもって気付けるようになってくるはずである。
その意味で「丁寧に」という課題はきっかけになるはずだ。
今回の稽古ではもう一つおもしろいことがあった。
午前中の背中に触れるワークの最中のことである。
何となくIさんの様子が稽古始めから気になっていたため、声をかけさせて頂いた。
気になるというのは違和感ということになるのだが、その時点では違和感が何に起因しているのか分からなかった。
これまでのワークを通して違和感に対しては「距離がある」「壁がある」「考えている」などの感想や印象を相手に与えることが多いように思う。
もちろん、ほとんどの場合において相手に「意志が向いていない」、もしくは、「意志が希薄である」ことが一つの問題ではある。
しかし、それとは異なる違和感であったためIさんに質問させて頂いた。
その後の反応を見ていると、喉が詰まる印象と思考が頭で留まる印象を受けた。その印象から、生活の中で「言いたいことが言えない」「我慢していることがある」のではないかという旨を聞いてみたところ心当たりがあったようだ。
当人にとっては何か変化するきっかけになったようでもある。
この一連のやり取りや変化については、その場で起きたことであり、特別な意味を持たない。
これまで「距離がある」「壁がある」「考えている」という言葉で誤摩化していた部分にツッコンでみようとした結果、そのような現象が生まれたのである。
今回の出来事には“ありのままを観る”。
“自分の感じていることを言語化する”。
そのような要素も含まれていたのではないかと思われる。
また、今までは相手に今回のような違和感があっても、敢えて触れることはしていなかった。
違和感が何に起因するか正確に分からない上に、分かったところで求めていない人に提示するのはおせっかいには変わりないからだ。
今後は明鏡塾という場を借りて、敢えてその辺りの検証もしていきたいと思う。